あと何十年。

私は今27歳、3月で28歳になる。
四捨五入で30だとすると、残りの人生あと60年。
うちの家系は90以上まで生きるのでその計算。
おばあちゃんは98で亡くなってるので、少なく見積もってるくらい。
あと60年って、長いのか短いのか。

周りの人たちのことを考えた。
あと何年一緒にいられるのか。
うん十年ってあっという間かも、そんなに長くないなーと思ったり。
そう考えると、いがみ合ったり衝突したりしてる場合じゃないかもしれない。
あとウン十年だって健康に生きていればの話で、
もっと短いのかもしれないし。
それぞれ色々あるだろうけど、優しさを持ち寄って生きられれば。
相手の立場になって気持ちを考えれば、少しは優しくなれるかもしれない。

98で亡くなったおばあちゃんが、私が小さい頃にくれた手紙に、
『強くてやさしい子になってね。』と書いてあった。今でもとってある。
明るくて元気とかじゃなく、強くて優しい。
さすがおばあちゃんだなぁ。
強くて優しい人になれるよう、がんばろう。

| | コメント (0)

歌詞ノートと植物たち

今日は三日月がきれいでしたね。
駅までの道はまだ凍ってる。

久々に歌詞ノートを広げて、新しい曲を書きました。
といっても10分くらいでサラッと書いてしまった。

普段の作り方は、散歩してるときや、シャワーを浴びてるときに
フレーズが出てくるので、録音しておいてそれをあとで広げていく。
広げるときはノート数ページに書き出してまとめるんですが、
今日は曲書こう、と思ってノート広げて、
一回も書き直しもせず出来てしまった。
それで出来たのが良いか悪いか分かりませんが。
明日三味線をつけてみよう。
もうすぐ引っ越すんですが、
それでこの町で過ごすのもあとちょっとかぁ、
と思って書いたシンプルな曲です。

部屋のうちわサボテンが、
よく見たら新しいちっちゃいうちわを沢山広げてました。
嬉しいですね。
対して南国原産のガジュマルは、寒さにやられて葉っぱを垂れ下げてる。
あったかくなったら元気になるかなぁ。

| | コメント (0)

まだ続いている。

今日知人たちと話していて、久々にあの大地震の話が出た。
あの時は大変だったね、最近も地震がある、位の話だけど。

普段ツイッターをよく見るから、毎日あのことは忘れずにいられるけど、
と言っちゃうように、
東京辺りだと、あの日を忘れちゃいけない、って広告で言ってたりするくらいになってきてる訳で、
でももう8ヶ月も経っているのに未だに仮設住宅に住んでいる人たちがいる。
その現実をあらためて考えると重い。
被災地にボランティアに行かなきゃと思ってるけど、
資金とタイミングもあって、結局まだ一度も行けてない。
なんて言い分けにしか聞こえないが。

天顕祭っていうマンガを少し前に読んだんだけど、
まるで原発事故が起きたあとの何十年後の世界だ。
今回のことと重なって、何度読んでも涙なしには読めない。
戦争による「ふかし」っていう毒に汚染されているっていう設定なんだけど、
日雇いの人が集められて長年に渡る除染作業をしていて。
でもこの話の中では30歳未満は労働禁止なんだけど、
現実のこの世界では20歳代も作業をしている。
この先何十年、私が死んだあとも処理作業は終わらないだろう。
原発近くの地域がまた美しい土地に戻るのはいつなのか。
物語よりも壮絶なことが世の中には起きている。
最初に読んだのがまだ春頃で、
そのときは現実世界が負けず劣らずな世界になっていることが
悲しくてしょうがなかった。

せめて、上の人たちが了見を誤らず最良の措置をしてほしい。
福島のために本気で動いている政治家の人たちがいるのも知っている。

不思議なのは、福島原発での作業費用は東電がまかなっていること。
なるべくコスト削減で作業しているらしい。
こんな事態に、何故国からお金が出ないんだろう。
義援金はどこへ行ってるんだろう。
コスト削減で最良の措置がとられてないんだったら、それは問題だと思う。

辛いことが起きても、皆が力を合わせて頑張る姿勢があれば
それだけでも救われると思う。
でもなにやら上で不可解な動きがあったりするのをみると本当、、、、、、、。
とにかくまだこの先終わらない震災、少しでも出来ることをしなければならない。

| | コメント (0)

天変地異

2011年、平成23年は本当に自然災害が多いですね。
これは何を意味しているのか。
考えずにはいられない。
日本で特に、世界全体でも。
地球が荒ぶっている。
今まではのんびりほんわかでも良かったけど、
やっぱり今まで通りにはいられないから、
考え方やこれからこう生きていこうと思うことがかなり変わった。
ものづくりが好きなのだけど、
前はテトラポッドとかカラーコーンとか人工物を可愛いと思って作ってたけど、
今は土とか木とか、自然の素材に興味が移ったし、
前は何故生きているのだろうと思いながら生きてたけど、
今は信念を持って力強く生きよう、と思ってる。

それと今回のことで
日本がかなり腑抜けてしまっていたことに気づいた。
今までは日本大好き、素敵な国!と思ってたけど、
あまり素敵だと思えなくなってしまった。

原発については、
ちゃんと管理出来るのならば反対しないけど、
福島原発はかなり古い施設を使い続けてたわけだし、
現在行われてる福一での作業だって、
なるべく安い予算で、と言って最善の策ではなく最低限の策が行われてる。
今の政府に安全な管理が出来るのか、とても信用出来ない。
だから反対する。
今回政府がなんとしても原発反対派を封じ込めようとしているのは、
正直、核を持ち続けるためじゃないかな。
封じ込める動きが、利権云々の度を越してる気がする。
その為に原子力発電を増やしてきたのかな。
それなら、核武装の為に、他国からやられない為に原発が必要です!くらいのこと
言われた方がまだすっきりする。
そう言われても反対だけれど。
でもそんなこと言ったら諸外国が黙っちゃいないか。
そう考えると今の政府の何とも嫌な動きもしょうがないのだろうか。
でもやっぱり納得のいかないことが多すぎる。

ここらで、生き方を問い直しなさいということなのかな。
単に地球が活発に動く時期なのかもしれないけど。
人間を問い直す機会なのかもしれない。

| | コメント (0)

エレファントカシマシ

そろそろエレカシの音楽を生で聴きたい!
心を潤しに行きたい。
自分の活動を頑張りだしてから聴きに行っていないなぁ。
ということは4年も行ってないのか。
エレファントカシマシは中学の頃から好きで、
人生で初めてはまった音楽であり、
唯一ずっと聴き続けている音楽。
宮本さんの魂の歌は何度聴いてもドンと脳髄に響く。
私も魂を感じる歌うたえるようになりたい。
まだ全然足りない。
もっと研ぎ澄まして音楽が出来るようになりたい。
あぁ明日は恒例のエレカシ野音。
仕事があるので外で聴くことも出来ないけど。
音楽は生き様だ。
宮本さんの生き様はかっこいい。
リアルタイムで聴くことが出来てラッキーだと思うくらい。

| | コメント (0)

言葉

最近ツイッターをよく利用している。
140文字という限られた文字数の世界。
今から書く話はツイッターでも少し書いたのだけれど。
ある日こういった内容のツイートを読んだ。
そのままは書かないけれど、
140字の中で愛や思想を表現する慣習があった、、と未来の人々に語られていたら素敵、
というような内容。
このツイートは沢山の人の共感を得ているようだったけれど、
読んだ瞬間に俳句や短歌は?と思った。
もっと昔から、日本人は17文字というさらに短い中で表現する手段を持っている。
そちらの方がよっぽど高度で繊細で素敵じゃないかなと思う。
140文字は長すぎる。
そう考えたとき、俳句が詠まれはじめた時代から比べて、
現代はものすごく情報量が増えているのだと思った。
だから140文字にまとめるだけでも満足してしまう。
5・7・5では、行間に様々な想いが込められている。
その行間をこうではないかと想像を膨らませることは凄く心豊なことじゃないだろうか。
それは心に余裕があって出来ることのように思う。
現代はあまりに情報が溢れていて、
暇であっても常に情報を受け流し続けている。
俳句を詠みはじめた時代を想像すると、
もっと人々の感覚は研ぎ澄まされていて、
多くを語らずとも、行間に込められた想いを瞬時に察することが出来たのでは。
もっと静かにならなくちゃいけない。
感覚を研ぎ澄まして無駄なものを省き、本質をみる。
そうすればもっと美しい世界になるのかな。

政治家の人たちも、5・7・5で国民に話せばいい。
どうしても足りないっていうなら、5・7・5・7・7でも。
まあちょっと冗談だけど、
俳句にすれば、誤魔化したり余計なこと考えないで、
大切なことだけを話してくれるんじゃないかな。

| | コメント (0)

思いつくままに

私が子供の頃、母がよく海援隊とアグネスチャンとさだまさしの曲をかけていた。
ここ何年も聞いてないけれど、カラオケに行けばアグネスチャンの曲はだいたい歌えたりする。
当時は気づかなかったけど、海援隊の曲は名曲が多いなぁと思う。
有名な「贈る言葉」も素敵な歌詞だし、「人として」の歌詞もとても好きだ。

信じるよりも疑う方が簡単だ、という言葉を最近聞いた。
確かにその通りだ。
疑おうと思えばいくらでも疑ってしまう。
傷つけてやろうと思って人は出会うわけじゃない。
傷つきたくも傷つけたくもないはずだ。
だからどんな事があっても人を信じよう。
傷ついても人を信じよう。
そして自分もなるべく傷つけないようにしよう。
自分に対する言い聞かせでもある。

人は自然の一部である。しかしそれと同時に人は人である。
いまの人は自然と向き合うことを忘れているかもしれない。
なんて実はそれは都心部に住む我々だけで、
山の方へ行けばもっとずっと自然のサイクルに寄り添って生きていると思う。
自然と向き合わないといけないと思うんだったら
こんなコンクリに囲まれてないで自然が一杯あるところに住めばいい。
コンクリに囲まれて防腐剤の入ったものばかり食べていたら疲れてしまう。
自然と触れ合ってないからピリピリしてしまう。
怒りからは何も良いものは生まれない。
怒りには怒りが返ってくる。
優しさには優しさが返ってくる。
地球とも向き合うべきだが、人とも向き合うべきだと思う。
人は地球の一部であると同時に、人は人だから。

| | コメント (0)

理想と現実。

数ヶ月前から将来は半自給自足生活をしたいと思うようになり、
東京の西の方で庭のある平屋に住んで、
いろんな野菜や果物を育てて、
ちょっとした布製品や器なんかも自分で作って、
でも頑張りすぎず生活の半分くらいをそうやって自分で出来たら。
そして音楽をやり、手作り製品も売って、三味線を教えたりしたい。
と思うのだけど、
今の生活はといえばコンビニのおにぎりや
マックで食事を済ませる日もあり、
部屋にある大量の植物の鉢は猛暑によってグッタリしてしまい、
どうすれば元気になるのか分からなかったり、
休みの日に昼まで寝てしまってやりたいこと半分も出来なかったり。
人との接し方も、知り合ったばかりの人に愛想良くすることは出来るけど、
ちゃんと向き合おうと思うと考えすぎてあらぬ方へ行ってしまったり。
そうやって理想と現実はかけ離れており、
あの歌のとおり落ちてゆく、落ちてゆく。
でも迫ってくる日々に、自分なりにちゃんと向き合いたいと思うから、
ちゃんと一回一回のライブに想いを込めて
聴いてもらっているのだから精一杯のものをぶつけないと。
今週日曜の古民家ライブはいつものライブと違うから、
今週は沢山考えて沢山準備しないと。
良いライブ出来るように、がんばろう。

| | コメント (2)

お盆

この間ネパール人の女の子の友達と、お盆について話していた。

お盆は亡くなった人が帰ってくる期間。
最初に迎え火といって松の木を燃やして、ご先祖様にここですよーと示す。
お盆の終わりには送り火を焚いて天に送る。
と話したら、ネパールは思想の根本からして違うようだった。
まず日本でお墓がずらっと並んでいる風景に驚いたそう。
ネパールは火葬して、骨や灰になったら、河に流す。
それで全部おしまい。さようなら。
だからまた帰ってくるという発想は全く無い。

それは面白いなぁと思った。
死んだら、自然に還る。それが本来自然。
日本は骨や灰になったら、壺に詰めてお墓に入れて、ずーっと残っている。

ここからはすごく個人的な話。
ここまで書いていいかなって思ったけど、良い話だと思うので。
去年、私のおばあちゃんは亡くなった。98歳。
さいごに会ったとき、
おばあちゃんはもう息してないけど凄く穏やかな顔をして、
頬も生きてるように柔らかくて、
でもすぐそのあと真っ白い骨になって、お墓に入るまでを見届けた。
宮崎のお墓には十数年前にすでにおじいちゃんが入っていて、
お墓を開けるとおじいちゃんの骨壷があった。
お墓はおじいちゃんが集団墓地に入るのは嫌だと、
自分の畑の敷地内に建てていた。
この二人の娘、私の伯母さんは、窮屈だろうと、
お墓の中の地面の土の上に、おばあちゃんのお骨をあけた。
その上におじいちゃんのお骨もあけた。
十数年ぶりにおじいちゃんとおばあちゃんは一つになって、
一緒に土に還った。
もう一人の伯母さんが、やっと一緒になれて良かったね、というようなことを言った。
見届けにきた親戚の人は驚いていたけど、
私はなんてセンスの良いことをするんだと思った。

だから、ネパールでは河に流しておしまい、っていう話を聞いて
それはいいなぁと思ったのだった。
だからといって、日本の先祖や先人を敬う文化は別で、良いことだと思う。
ずーっと、土に還ることなく保管されるのが、不自然だなぁと。
いつから保管されるようになったんだろう。
前に聞こえないはずの何かが聞こえたことがあるし、
死んだらおしまいとは言わないけど、
自然に還って開放された方がいいんじゃないかな、と思った。

とにもかくにも、今はお盆で、
皆の近しい人、この間の震災で亡くなった方達も、
帰ってきているんでしょうか。
ネパール人には生前から‘死んだらさようなら‘という思想が根付いているなら、
帰って来ないでしょうけど、
日本人はお盆には帰ってくる、という文化が根付いているから、
帰ってくるんじゃないかなと思ったり。
おばあちゃんは何処に帰ってきてるんだろうか。
宮崎のおうちか、おばあちゃんの子供たちの所かな。
凛としたすごく素敵なおばあちゃんだった。
むかしお年玉に添えてあった、
”強くてやさしい子になってね”と書いてある手紙は
ずっと大事にとっている。

| | コメント (0)

遺跡と水路

さあさ、今日も書くぞっ。

昨日はふらっと夜の散歩に繰り出しました。
地図を見ると気になっていた、近所の早宮史跡公園へ。
行ってみると、東早淵遺跡という遺跡が発掘された場所でした。
しかも、旧石器、縄文、弥生、平安時代のそれぞれの遺跡が見つかっているという。
そんな色々な時代の住居跡や土器が見つかっているなんて、結構凄いじゃないですか。
こんな近くにそんな場所があったとは。
今はまた土が戻されて公園になっています。ああ勿体無い。
でも埋めといた方が保存が効くんでしょうか。
掘り出したところを見てみたいものです。

Photo

その後、買い物をして帰る予定だったんですが、
石神井川沿い、ふと気になった道を曲がってみました。
その先には緑の多い細い路地がずっと続いていて。
今日は気の向くままに散歩だ、と思い、その路地をどんどん入っていきました。
人2人が並んだらいっぱいの幅。
ずっとくねくね曲がっていて、家々が背を向けていて裏道感が強く、
心なしかジメジメしている。
これはもしかして、川跡!?
Photo_2 Photo_3
川跡先駆者の三土たつおさんというライターの方がいらっしゃいますが、
私も地形や地名から昔ここはこうだったのかも、と考えながら歩くのが大好きです。
もうだいぶ暗くなっていましたが、この細さが続く限り行ってみようと歩きました。
古い家ほど、土台が高くしてあってあからさまにこの道に背を向けていて、
これはいよいよ川だ、とワクワクしながらあるくこと十数分。
道沿いの民家から三味線が聞こえてくる、というオマケも。
その三味線の家からすぐ先に、なんとこんな文字が・・・!
Photo_4
なんと「水路」・・・!!
暗すぎて若干ホラーですが。
もう一人感動でした。
これは川に違いない、と推理して歩いていたら、
こんな明快な答えが待っているとは。
この先にも水路敷と書かれている場所がありました。

こうやって目的地がなく知らない道を歩いたことはほぼ無いですが、
気になった入ってみたい道を進む、というのはかなり楽しいのでお勧めです。
緑の多い細い路地って、なんか魅力的。
しかも今回は川跡っぽいと思っていたら、本当に水路と答えが出た。
でも今度は明るい時間にやろう。
夜に暗い細い路地を女一人で歩くのは、あまり良くないだろうし、
闇の妖怪でも潜んでいそうだったし。

普段は導線になる道しか歩かないから、
近所でも一本脇道に入れば、
面白いことが沢山潜んでいるなと感じた夜でした。

| | コメント (0)

その他のカテゴリー

お知らせ | はじめに | ライブ | ライブ情報 | 日記 | 練習など | 色々