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2011年9月

天変地異

2011年、平成23年は本当に自然災害が多いですね。
これは何を意味しているのか。
考えずにはいられない。
日本で特に、世界全体でも。
地球が荒ぶっている。
今まではのんびりほんわかでも良かったけど、
やっぱり今まで通りにはいられないから、
考え方やこれからこう生きていこうと思うことがかなり変わった。
ものづくりが好きなのだけど、
前はテトラポッドとかカラーコーンとか人工物を可愛いと思って作ってたけど、
今は土とか木とか、自然の素材に興味が移ったし、
前は何故生きているのだろうと思いながら生きてたけど、
今は信念を持って力強く生きよう、と思ってる。

それと今回のことで
日本がかなり腑抜けてしまっていたことに気づいた。
今までは日本大好き、素敵な国!と思ってたけど、
あまり素敵だと思えなくなってしまった。

原発については、
ちゃんと管理出来るのならば反対しないけど、
福島原発はかなり古い施設を使い続けてたわけだし、
現在行われてる福一での作業だって、
なるべく安い予算で、と言って最善の策ではなく最低限の策が行われてる。
今の政府に安全な管理が出来るのか、とても信用出来ない。
だから反対する。
今回政府がなんとしても原発反対派を封じ込めようとしているのは、
正直、核を持ち続けるためじゃないかな。
封じ込める動きが、利権云々の度を越してる気がする。
その為に原子力発電を増やしてきたのかな。
それなら、核武装の為に、他国からやられない為に原発が必要です!くらいのこと
言われた方がまだすっきりする。
そう言われても反対だけれど。
でもそんなこと言ったら諸外国が黙っちゃいないか。
そう考えると今の政府の何とも嫌な動きもしょうがないのだろうか。
でもやっぱり納得のいかないことが多すぎる。

ここらで、生き方を問い直しなさいということなのかな。
単に地球が活発に動く時期なのかもしれないけど。
人間を問い直す機会なのかもしれない。

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エレファントカシマシ

そろそろエレカシの音楽を生で聴きたい!
心を潤しに行きたい。
自分の活動を頑張りだしてから聴きに行っていないなぁ。
ということは4年も行ってないのか。
エレファントカシマシは中学の頃から好きで、
人生で初めてはまった音楽であり、
唯一ずっと聴き続けている音楽。
宮本さんの魂の歌は何度聴いてもドンと脳髄に響く。
私も魂を感じる歌うたえるようになりたい。
まだ全然足りない。
もっと研ぎ澄まして音楽が出来るようになりたい。
あぁ明日は恒例のエレカシ野音。
仕事があるので外で聴くことも出来ないけど。
音楽は生き様だ。
宮本さんの生き様はかっこいい。
リアルタイムで聴くことが出来てラッキーだと思うくらい。

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9.11と3.11

今日はアメリカの同時多発テロから10年。
もう10年経ったんですね、びっくり。
あのときは帰宅後、まだ家族は帰っておらず、ひとりテレビを見ていました。
1機目が突っ込んだ時点では事故だと思いましたが、
2機目が突っ込んだ時の衝撃といったらなかった。
今はテレビがあるから遠くで起こっている恐ろしい出来事も生で目撃してしまう。
もう4年くらいテレビの無い生活ですが、
この間の震災のときは偶然人の家にお邪魔していたので
津波が街を飲み込んでいく様も生で見てしまいました。
あまりに知りすぎるのも難だなぁと思ってしまいますが、
歴史的な出来事は記憶に刻んでおくことも大事ですね。

こんな大変なときに政府や利権などの問題で
なかなか復興や原発事故の収束も進行しないし、
もうこの国に希望は持てないなと思っています。
でも人には希望は持っています。
個々では素晴らしい人に沢山出会っているから。
あまりにもどかしいので、
現地にボランティアに行きたいと思うも、
調べてみるとお金もかかるのでなかなか(汗)
でも今月末か来月には行こうと思います。

俳優の山本太郎さんも言っているけど、
震災はまだ終わってない。
終わったように過ごしていたりするけど、
みんなで取り組んでいかなきゃいけないことだと思う。
といってもずっと震災のこと考えてなきゃいけない!ってことじゃなくて、
楽しいときも過ごしつつ、協力していかないと。
そうしないと、日本が終わっちゃうんじゃないかって、
最近の日本をみてて思う。

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言葉

最近ツイッターをよく利用している。
140文字という限られた文字数の世界。
今から書く話はツイッターでも少し書いたのだけれど。
ある日こういった内容のツイートを読んだ。
そのままは書かないけれど、
140字の中で愛や思想を表現する慣習があった、、と未来の人々に語られていたら素敵、
というような内容。
このツイートは沢山の人の共感を得ているようだったけれど、
読んだ瞬間に俳句や短歌は?と思った。
もっと昔から、日本人は17文字というさらに短い中で表現する手段を持っている。
そちらの方がよっぽど高度で繊細で素敵じゃないかなと思う。
140文字は長すぎる。
そう考えたとき、俳句が詠まれはじめた時代から比べて、
現代はものすごく情報量が増えているのだと思った。
だから140文字にまとめるだけでも満足してしまう。
5・7・5では、行間に様々な想いが込められている。
その行間をこうではないかと想像を膨らませることは凄く心豊なことじゃないだろうか。
それは心に余裕があって出来ることのように思う。
現代はあまりに情報が溢れていて、
暇であっても常に情報を受け流し続けている。
俳句を詠みはじめた時代を想像すると、
もっと人々の感覚は研ぎ澄まされていて、
多くを語らずとも、行間に込められた想いを瞬時に察することが出来たのでは。
もっと静かにならなくちゃいけない。
感覚を研ぎ澄まして無駄なものを省き、本質をみる。
そうすればもっと美しい世界になるのかな。

政治家の人たちも、5・7・5で国民に話せばいい。
どうしても足りないっていうなら、5・7・5・7・7でも。
まあちょっと冗談だけど、
俳句にすれば、誤魔化したり余計なこと考えないで、
大切なことだけを話してくれるんじゃないかな。

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思いつくままに

私が子供の頃、母がよく海援隊とアグネスチャンとさだまさしの曲をかけていた。
ここ何年も聞いてないけれど、カラオケに行けばアグネスチャンの曲はだいたい歌えたりする。
当時は気づかなかったけど、海援隊の曲は名曲が多いなぁと思う。
有名な「贈る言葉」も素敵な歌詞だし、「人として」の歌詞もとても好きだ。

信じるよりも疑う方が簡単だ、という言葉を最近聞いた。
確かにその通りだ。
疑おうと思えばいくらでも疑ってしまう。
傷つけてやろうと思って人は出会うわけじゃない。
傷つきたくも傷つけたくもないはずだ。
だからどんな事があっても人を信じよう。
傷ついても人を信じよう。
そして自分もなるべく傷つけないようにしよう。
自分に対する言い聞かせでもある。

人は自然の一部である。しかしそれと同時に人は人である。
いまの人は自然と向き合うことを忘れているかもしれない。
なんて実はそれは都心部に住む我々だけで、
山の方へ行けばもっとずっと自然のサイクルに寄り添って生きていると思う。
自然と向き合わないといけないと思うんだったら
こんなコンクリに囲まれてないで自然が一杯あるところに住めばいい。
コンクリに囲まれて防腐剤の入ったものばかり食べていたら疲れてしまう。
自然と触れ合ってないからピリピリしてしまう。
怒りからは何も良いものは生まれない。
怒りには怒りが返ってくる。
優しさには優しさが返ってくる。
地球とも向き合うべきだが、人とも向き合うべきだと思う。
人は地球の一部であると同時に、人は人だから。

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